泣きたい時には・・・・・・│少しずつ、日常へ・・・

2011年03月30日

新聞、読もうっと。


※以下の文章は、今月の頭あたりに書いていたのですが
 北海道旅行・・・etc、のバタバタの中で、結局投稿されずにいたものです。



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我が家は新聞を朝刊だけ取っているが
旅行に行ったりした時なんかはもちろん
日々、ちょっと忙しくなってくると新聞に目を通す余裕がなくなり
すると途端に「未読の新聞の山」が積み上がりはじめ
なぜかその山は、一旦できるとあれよあれと標高が高くなり
それはそれは堂々見事に部屋の隅を占拠してしまうのだ。

そうなると、月々の新聞代・・・×12ヶ月・・・なんて考え始め
「・・・もう新聞取るの、やめちゃおうかな・・・?」、となる。

結構この葛藤、あの新聞の山が築かれるたんびにもぉ、毎度のことで・・・・。

つい先日も、見事に積み上がった山を処理すべく
2ヵ月分近く(!)を、半日がかりで一気に流し読み・・・。
(哀しいかな、目を通さないと捨てられない貧乏性・・・)

「あ〜もうほんとに新聞、やめちゃおうかな〜!!」と思ったタイミングで
随分前に図書館で予約していた一冊、
『池上彰の新聞活用術』が手元に届いた。

この本では、池上彰さんが
実際に新聞各紙に掲載された記事を引用したりして
新聞の読み方・活用の仕方などをレクチャーしてくれるのだが
その中で引用されていたある2つの記事で
思わずボロボロと涙してしまった。


一つは、朝日新聞 『朝日歌壇』に投稿されていたという
「自称ホームレス」の公田耕一氏の短歌2作品に涙。


百均の「赤いきつね」と迷ひつつ月曜だけ買ふ朝日新聞

温かき缶コーヒーを抱きて寝て覚めれば冷えしコーヒー啜る


じんわりじんわり、ずしりずしりと、胸に響いてくる歌だなあ・・・・。

教養の高さを窺わせる言葉で、
リアルなホームレス生活を淡淡と詠う公田氏。
氏が本当にホームレスなのかどうか、という論議は置いておいても
その後、『朝日歌壇』に姿を見せなくなってしまったという公田氏が
今はどうされているのか・・・と気がかりでもあります。



そしてもう一つの記事は、
池上さんがあとがきで紹介していた、読売新聞 『編集手帳』。
その日の『編集手帳』は
「昨朝、新聞配達員の女性(65)が電車にはねられて亡くなった」という
とてもショッキングな内容だった。

記事の中で記者は
「線路上に錯乱した新聞には『編集手帳』が載っていた。
 命をかけて拾ってくれた〇〇さんの霊前で恥じることのない、
 心のこもった記事であったかどうか」
と自問されている。

読売読者である自分が
『編集手帳』のこの記事に触れていなかった、という
この体たらくにもげんなりしたが
改めて新聞には、
これほどまで心を震わせる事柄や文章が溢れているのだと思ったら
「新聞やめるの、やめよう。。」と、素直に思えた。


思えば、いま読売を辞めてしまったら
日曜朝刊の書評の欄での
キョンキョン(小泉今日子)の鮮やかな文才にも触れられなくなる。
それもけっこう惜しい。


池上さん、これからはもっとちゃんと、新聞読みます。ありがとう。

(山もなるべく「小山」程度に抑えます・・・)




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震災以後、遅延を詫びるチラシが入りながらも
それでも日々確実に、我が家には新聞が届けられています。

そしてその新聞の記事に、心震わされ、ただただ涙しています。

ほんとうに紙面にボトボトと、涙が落ちます。

日々のテレビ映像からもストレートな現実を得ることができますが
新聞の文章からは、ずしんずしんと
取材する側される側の、
生々しい叫びが聞こえてくるような気がします。

その叫びを自分なりに精一杯受け止めて
そして改めて、「いま自分ができること」を再確認するのです。



被災地の最前線で奮闘する記者の方々、
刻一刻時計を気にしながら輪転機を回す方々、
そしてまだまだ寒さ厳しい、夜が明けきらぬ朝に
配達をしてくださる方々・・・・・


そんな皆さんに感謝をしながら
紙面から得る現実を心に刻みつつ、自分のあり方を考えています。


kappa_ginga at 10:44│Comments(0)│あれこれ | Book Review

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