「へぇ〜〜!」ってなんだ。│お花見散歩

2008年03月31日

ドラマ『東京大空襲』

OAから少し時間が経ってしまったが
日テレの特別ドラマ『東京大空襲』の録画を観た。
おっ・・・今日で3月も終わり・・・。
やはりこの話題。東京大空襲があった3月中に書いておかねば・・・。

あれ、この人も!こんな人も!・・・という実に華やかな出演陣。
話の冒頭では、そんな出演者、特に女優陣の
マスカラバリバリのバッチリメイクが気になってしょうがなかったり
バックに流れる英語詞の音楽(音楽監修・YOSHIKI)に無性に違和感を感じたりで
あれ、ハズレかこれは・・・と思って見進めていたが
ストーリーが、まさに3月10日の大空襲に近づくにつれ
いつのまにかTVの画面に釘づけになっていた。


正直。恥ずかしながら・・・
これほど東京大空襲が凄まじいものだという認識がなかった。


逃げ惑う民衆。
「橋の向こう側に行けば助かるのだ!」と信じた川の両岸の民衆達が
言問橋の橋の上で衝突、押し合い圧し合いになり
ある者は川へ飛び込み、ある者は橋の上で身動きもできぬまま、死んでいく。


とにもかくにも、このドラマの描き方が壮絶だった。

ちょっと今まで見てきた「戦争もの」のドラマとは、何かが違っていた。


とにかく誰も彼もが死んでいく。
主役や準主役を張れる俳優達が、次々と、壮絶に、あっけなく死んでいくのだ。

その俳優達の死に様を目の当たりにして痛感したのは
誰彼と区別なく、こうやって見境なく死んでいくのが
「そうか、これが『戦争』なのか」ということだった。

俳優達の死に様は、実にドラマティックで、壮絶だったが
あの日、10数万の命のひとつひとつがこのように壮絶に、消えていったのだ。

なんだか、当たり前のことを今さら目の前に突きつけられたようで
かなりショックを受けた。


そこでちょっと考えてしまったのは
今まで見てきた戦争ドラマ・映画の描き方について。

幼少時代からこれまで、実に様々な「戦争もの」の作品に触れているが
「主人公・主要人物は死なない」というパーセンテージの高さに
「戦争を知らない子供たち」の我々は
どこか「救われて」しまっていたのかもしれない。

確かに、作品の中で命を落としていく者の数は少なくはないが
「それでも生き抜いた」という主人公の姿は
その裏にある
何十万何百万もの死の存在の「緩衝材」になってしまっていたのではなかろうか。

今回の日テレの『東京大空襲』での描き方は
「誰が死んだっておかしくない」の無常、不条理さを
実にリアルに、実に残酷に、描ききっていた。

そして、これまで見た「戦争もの」で感じた
どこか『憐憫』とか『同情』『可哀想』などの類の感情とは違う
「隣に死が当たり前にある」という『恐怖感』に、涙がこぼれた。


実に傑作だった。
が、ただひとつ残念なのが、前述したBGMのこと。

こういう作品に「英語詞」の曲を使うというのは
様々な解釈があるのかもしれないが
私としては
何百機ものB-29の襲撃に逃げ惑う人々の背後にこの「メリケン言葉」か、と
曲が流れるたびに強烈な抵抗を感じずにはいられなかった。

それなりの「解釈」をしての、この演出なのだろうが
それほどの「解釈」もなしの「雰囲気的演出」だったのだとしたら
これは致命的な大失敗だったと思う。

kappa_ginga at 23:53│Comments(0)│TV・映画 

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